その日は時間の都合上、どうしても仕事終わりの夜にしか会えないクライアントがいた関係でニールが事務所に戻ったときにはすでに事務所には誰もおらず、時刻ももうすぐ日付を越えようとしていた。
ニールは事務所の自身の机に腰を下ろす。
机に置いてある小さい伝言ボードにリンダのメッセージが貼られていた。
お疲れさまの文字と書類整理は明日にして帰宅してという旨の内容だった。
有り難い言葉だったが、明日は明日でスケジュールが埋まっていて書類を整理しなければこの机が机としての機能を果たせなくなってしまうと思ったニールはこのまま作業しようと頭を切り替えた。
ひとしきり作業をしてニールは時計をみる。
時刻は午前三時。
大方、片付いたし今日はここまでにしてタクシーで帰ろうと事務所を後にする。
外はまだ暗く車通りもなく静かだった。
タクシーを掴まえるには駅の方まで歩かないとダメかもしれないとニールは歩きだした。
歩いている間も日中のにぎやかさが嘘なほど静まり返っていた。
ふと前方に明かりが灯るのが見えて立ち止まる。
そこは二十四時間営業のファミリーレストランだった。
そういえば夕食を食べていなかったことに気付きついでだからと食べて帰ることにした。
オフィス街のファミレスは終電を逃したサラリーマンが利用したりしているようで、店内には少し客がいた。
「いらっしゃいませ」
自動ドアを抜けて店内に入ると入口付近にすでに人が待機していてニールを見るなり来店の挨拶をくれた。
その店員の姿がどこかで見たことがあるような気がしてニールは店員の顔を見つめた。
顔を上げた店員もニールの顔を見て驚いた表情を浮かべていた。
「あ……」
数日前、急いでいてぶつかってしまった少年だと思いだしニールは声を掛ける。
「この間は、悪かった。急いでいてろくに謝罪できずに」
「いえ、こちらこそすいませんでした」
あの時呆然としていた姿とは違い、しっかりと頭を下げるこの店員にニールは罪悪感を募らせる。
それほどにあのぶつかった衝撃で驚いていたのだろう。
そこで、ふと先日との少年との違いに気付く。
「いやいや、あれは完全に俺が悪かったから、それよりも眼鏡、掛けてたんだな」
「あ、あの時は勢いで落ちたので」
少年は慌てたように眼鏡をあげる仕草をする。
「壊れなかったか?」
「え、ええ。大丈夫です」
眼鏡が飛んでしまうくらいの衝撃があったのかとニールは心配になる。
落ちた勢いでフレームが歪んだりしていないか確認したかった。
「失礼」
「えっ」
悪いとは思いながらもちゃんと確認がしたかったニールは店員の眼鏡を抜き取った。
「良かった。確かに大丈夫そうだ」
歪みも傷もなく異常はないことを確認して店員に眼鏡を返す。
呆然とその仕草を見ていた店員は眼鏡を掛けて気を取り直したように声を掛けてきた。
「お一人ですか?」
「あ、ああ」
「ご案内します」
そう言われて、ファミレスに来ていたんだと思い出す。
通常の時間帯なら他の客から顰蹙を買いそうだ。
ニールは案内された席に腰掛ける。
窓から見えるオフィス街は静かなままだ。
「ご注文がお決まりになりましたらお呼びください」
今の時間帯はこの少年一人がフロアの担当をしているのか、他の店員が見あたらなかった。
あの日もここへ向かう途中だったのかと合点がいった。
それにしても、あのくらいの年齢ならば大学へ行って勉強しているはずなのに、こんな深夜の勤務をしていることをニールは不思議に思った。
大学に通いながらのシフトとしては少し無理があるように感じたが、余計なお世話なのかもなと思いメニューに目を落とした。
ファミレスに入るのはそれこそ学生以来だとニールはファミレスのメニューらしいハンバーグを注文した。
ファミレスらしからぬ静かな店内にニールは瞳を閉じて待った。
程なくして声がかかる。
「お待たせいたしました」
慣れた手つきでテーブルに食事を並べる。そこに注文していないものも置かれニールは困惑する。
「おいおい、俺は頼んでないぞ」
「あ。いえ、これは」
気付かれたと店員は口ごもる。ニールが不思議にその後に続く言葉を待っていると店員は口を開いた。
「お疲れでしょうから、どうぞ」
どうやら、店員からのサービスらしいそれは、メニューで確認すればビタミンC豊富なアセロラドリンクだった。
年下の学生に心配されるほど、自分は疲れていたのだろうかと思いながら、店員の好意を素直に受け取った。
ニールが食事を取っているときも、気を休めることなく入り口付近で待機していて来客を待っていた。
やはりというべきかニールが入って以降、新しい客は入ってはこなかった。
ニールが食べ終わる頃には空が白み始め夜が明けることを告げていた。
会計をしようとニールが立ち上がりレジへ向かえばそれに気付きすかさずレジに付く。
気の利く店員にニールは少なからず興味が湧いた。
「ごちそうさま」
そう言って、店員の胸元のネームプレートを見る。【ティエリア】と書かれたプレートに妙に似合う名前だなとぼんやり考える。
「ありがとうございました」
「いや、こっちこそ。ジュースありがとう、ティエリア」
「えっ」
なんで名前を知っているのだろうという顔をするので、ニールはティエリアの胸元を指で示した。
示された場所にあるネームプレートに気付いてティエリアは納得していた。
自分は名乗らないのは失礼な気がしてニールも自己紹介をすることにした。
「俺はニール。これ、一応名刺な」
名刺を受け取ったティエリアは制服のポケットにそっと仕舞った。
そしてニールは自宅に帰ろうと外へでた。
体は疲れているが、何故か心は少し軽くなっているのを感じた。
to be.....